昭和48年09月14日 夜の御理解
有難いが一杯とかもったいないで一杯とか、それを有り難く受けていく事以外にない、勿体無いで受けていく以外にないと末永先生がいうとる通りです。どうしてもありがたい答が出てこない時がある、有難いと思えない事がある、または本当に勿体無いと思おうたって思えない事がある、私は今日そういう事に直面してあそこに10分あるなしの時間ではありましたけれども、心が詰るような思いをした事があるんです。
そこには有り難い事もなければ、勿体無いもない、こうゆう時に電話でも掛かってきたら、お参りがあってお取次ぎを願われたら、もう全然神様にお取次ぎなど出来ん、だから「どうぞ電話が掛って来ない様にお参りがないように一生懸命お願いして、結局「金光様、金光様」でお縋りさして頂いたんですけれどね。本当にこれほどみんなに、ここん処が一番大事ぞというてさして頂く、お取次さして頂くいきよるのに分かってない、そんな事からでしたけれども、その時の気持ちをちょっとここに書いてみたんです。
「これ位のことが分からんのか」昭和48年09月14日 夜の御理解有難いが一杯とかもったいないで一杯とか、それを有り難く受けていく事以外にない、勿体無いで受けていく以外にないと末永先生が云うとる通りです。どうしてもありがたい答が出てこない時がある、有難いと思えないことがある、または本当にもったいないと思おうたって思えないことがある、私は今日そういう事に直面してあそこに10分あるなしの時間ではありましたけれども、心が詰るような思いをしたことがあるんです。
そこには有難い事もなければ、勿体無いもない、こういう時に電話でも掛かってきたら、お参りがあってお取次ぎを願われたら、もう全然神様にお取次ぎなど出来ん、だから「どうぞ電話が掛って来ない様にお参りがないように一生懸命お願いして、結局「金光様、金光様」でお縋りさして頂いたんですけれどね。本当にこれほどみんなに、ここん処が一番大事ぞと云うてさして頂く、お取次さして頂くいきよるのに、分かってない、そんな事からでしたけれども、その時の気持ちをちょっとここに書いてみたんです。
「これ位の事が分からんのか」これは一つの憤りなんです、是位の事あんた何十年信心しとるかという処なんです、「これ位の事が分からんのか」心が穏やかでない私ですよね、心が穏やかでない、情けない心すらする、穏やかでない心をジ-と押さえて心中祈念「金光様こんこうさま」と繰り返し繰り返し唱えさして頂いた、そして分からされたことは「どうして分からんのか」でなく「分からせ得ていなかった事だと言う事。
お詫びより以外にない」もう、その時には涙が出るほど、本当に20年かかって分かっているもんと思うとった、分からせ得ていなかったこと、丁度私の気持ちがそんなふうで、本当に分かっとらんのではなく、分からせ切らなんだということが分かってお詫びさして頂くとき、もう平生の心、もちろん神様に通うお詫びしてるそのお詫びが通うている時なんです、時にはその直前にいや直後に日田の竹野さんがお参りして見えて、今朝方からお夢を頂いた。
「それが6階建ての鉄筋コンクリートの家の6階建ての処におるけれども6階建てが崩れてきた、だから5階に下りた、そしたら5階も崩れてきた、4階に下りた、3階に下りた、2階とうとう地上に下りてきた、そうしたところがそこはお広前のようなふうで親先生合楽の親先生がお結界に座っとられる、親先生が座っとられると思ったら三代金光様になられた。」というお夢だった勿体無いお夢を頂きましたと私は「今日のご理解ですよ」と申したことでした。
例えていえば、ここで20年も信心さして頂いてこのことは分かっていると思いよったものが分かってなかった、6階から私の場合1階1階地下まで叩き落されたような気がした。 けれどもそこにです 至った時になるほどありがたいともお礼がいえないしもったいないということも出ないけれども、もう本当に20年もかかって分からせ得ていなかったことの自分の力のないことを唯々思う以外にない。
お詫びする以外にないという時に私の心はもう有難い、勿体無い心と同じような平生心が心に頂けとったと言う事です。今朝からのご理解から引き続ずいて思うてみて下さい。有難いで開けた道じゃから「有難い」では苦労はさせん、喜びで開けた道じゃから喜びでは苦労させんと仰るが、喜べないことがある、勿体無いモッタイナイというても勿体無いと思えないことがある、その時はどうするか、今日私もう本当にここへきて「生神金光大神様をとなえて、恐らく10分は掛からなかったと思うんですけれども。
もう本当に高い所から突き落とされた思いでした、けれどもこの人達ですらこの位分かって無いのですから私は20何年間なにを説いてなにを教えてきたであろうか、もう本当に悲しくなるくらいだと思いましたけれども結局は分からせ切っていなかった自分をいうことを唯々お詫びする以外に無い。第一歩から教え直そう、また私も地上から一つやり直そうといったような心に頂いた。
これは一つの憤りなんです、是位の事あんた何十年信心しとるかという処なんです「これぐらいの事が分からんのか」心が穏やかでない私ですよね、心が穏やかでない、情けない心すらする、穏やかでない心をジ-と押さえて心中祈念「金光様こんこうさま」と繰り返し繰り返し唱えさして頂いた、そして分からされたことは「どうして分からんのか」でなく「分からせ得ていなかった事だと言う事。
お詫びより以外にない」もう、その時には涙が出るほど、本当に20年かかって分かっているもんと思うとった。分からせ得ていなかったこと、丁度私の気持ちがそんなふうで、本当に分かっとらんのではなく、分からせ切らなんだということが分かってお詫びさして頂くとき、もう平生の心、もちろん神様に通うお詫びしてるそのお詫びが通うている時なんです、時にはその直前にいや直後に日田の竹野さんがお参りして見えて、今朝方からお夢を頂いた。
「それが6階建ての鉄筋コンクリートの家の6階建ての処におるけれども6階建てが崩れてきた、だから5階に下りた、そしたら5階も崩れてきた、4階に下りた、3階に下りた、2階とうとう地上に下りてきた、そうしたところがそこはお広前のようなふうで親先生合楽の親先生がお結界に座っとられる、親先生が座っとられると思ったら三代金光様になられた。」というお夢だったもったいないお夢を頂きましたと私は「今日のご理解ですよ」と申したことでした。
例えていえば、ここで20年も信心さして頂いてこのことは分かっていると思いよったものが分かってなかった、6階から私の場合1階1階地下まで叩き落されたような気がした。 けれどもそこにです 至った時になるほどありがたいともお礼が云えないしもったいないということも出ないけれども、もう本当に20年もかかって分からせ得ていなかったことの自分の力のないことを唯々思う以外にない。
お詫びする以外にないという時に私の心はもう有難い、勿体無い心と同じような平生心が心に頂けとったと言う事です。今朝からのご理解から引き続ずいて思うてみて下さい。有難いで開けた道じゃから「有り難い」では苦労はさせん、喜びで開けた道じゃから喜びでは苦労させんと仰るが、喜べないことがある、もったいない、モッタイナイというても勿体無いと思えないことがある、その時はどうするか。
今日私もう本当にここへきて「生神金光大神様をとなえて、恐らく10分は掛からなかったと思うんですけれども、もう本当に高い所から突き落とされた思いでした、けれどもこの人達ですらこの位分かって無いのですから私は20何年間なにを説いてなにを教えてきたであろうか、もう本当に悲しくなるくらいだと思いましたけれども結局は分からせ切っていなかった自分を言う事を唯々お詫びする以外に無い。第一歩から教え直そう、また私も地上から一つやり直そうと言った様な心に頂いた。